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2011年6月16日 星期四

村上春樹於加泰隆尼亞的得獎演講全文翻譯:以非現實性的夢想家而言

村上春樹於加泰隆尼亞的得獎演講全文翻譯:以非現實性的夢想家而言


村上春樹さん:カタルーニャ国際賞スピーチ原稿全文(上)

カタルーニャ国際賞の授賞式で、スピーチする作家の村上春樹さん=スペインのバルセロナで2011年6月9日、ロイター
カタルーニャ国際賞の授賞式で、スピーチする作家の村上春樹さん=スペインのバルセロナで2011年6月9日、ロイター
 9日のスペインのカタルーニャ国際賞授賞式で配布された作家村上春樹さんの受賞スピーチの原稿全文は次の通り。(原文のまま)
 「非現実的な夢想家として」
 僕がこの前バルセロナを訪れたのは二年前の春のことです。サイン会を開いたとき、驚くほどたくさんの読者が集まってくれました。長い列ができて、一時間半かけてもサインしきれないくらいでした。どうしてそんなに時間がかかったかというと、たくさんの女性の読者たちが僕にキスを求めたからです。それで手間取ってしまった。
 僕はこれまで世界のいろんな都市でサイン会を開きましたが、女性読者にキスを求められたのは、世界でこのバルセロナだけです。それひとつをとっても、バルセロナがどれほど素晴らしい都市であるかがわかります。この長い歴史と高い文化を持つ美しい街に、もう一度戻ってくることができて、とても幸福に思います。
 でも残念なことではありますが、今日はキスの話ではなく、もう少し深刻な話をしなくてはなりません。
 ご存じのように、去る3月11日午後2時46分に日本の東北地方を巨大な地震が襲いました。地球の自転が僅かに速まり、一日が百万分の1.8秒短くなるほどの規模の地震でした。
 地震そのものの被害も甚大でしたが、その後襲ってきた津波はすさまじい爪痕を残しました。場所によっては津波は39メートルの高さにまで達しました。39メートルといえば、普通のビルの10階まで駆け上っても助からないことになります。海岸近くにいた人々は逃げ切れず、二万四千人近くが犠牲になり、そのうちの九千人近くが行方不明のままです。堤防を乗り越えて襲ってきた大波にさらわれ、未だに遺体も見つかっていません。おそらく多くの方々は冷たい海の底に沈んでいるのでしょう。そのことを思うと、もし自分がその立場になっていたらと想像すると、胸が締めつけられます。生き残った人々も、その多くが家族や友人を失い、家や財産を失い、コミュニティーを失い、生活の基盤を失いました。根こそぎ消え失せた集落もあります。生きる希望そのものをむしり取られた人々も数多くおられたはずです。
 日本人であるということは、どうやら多くの自然災害とともに生きていくことを意味しているようです。日本の国土の大部分は、夏から秋にかけて、台風の通り道になっています。毎年必ず大きな被害が出て、多くの人命が失われます。各地で活発な火山活動があります。そしてもちろん地震があります。日本列島はアジア大陸の東の隅に、四つの巨大なプレートの上に乗っかるような、危なっかしいかっこうで位置しています。我々は言うなれば、地震の巣の上で生活を営んでいるようなものです。
 台風がやってくる日にちや道筋はある程度わかりますが、地震については予測がつきません。ただひとつわかっているのは、これで終りではなく、別の大地震が近い将来、間違いなくやってくるということです。おそらくこの20年か30年のあいだに、東京周辺の地域を、マグニチュード8クラスの大型地震が襲うだろうと、多くの学者が予測しています。それは十年後かもしれないし、あるいは明日の午後かもしれません。もし東京のような密集した巨大都市を、直下型の地震が襲ったら、それがどれほどの被害をもたらすことになるのか、正確なところは誰にもわかりません。
 にもかかわらず、東京都内だけで千三百万人の人々が今も「普通の」日々の生活を送っています。人々は相変わらず満員電車に乗って通勤し、高層ビルで働いています。今回の地震のあと、東京の人口が減ったという話は耳にしていません。
 なぜか?あなたはそう尋ねるかもしれません。どうしてそんな恐ろしい場所で、それほど多くの人が当たり前に生活していられるのか?恐怖で頭がおかしくなってしまわないのか、と。
 日本語には無常(mujo)という言葉があります。いつまでも続く状態=常なる状態はひとつとしてない、ということです。この世に生まれたあらゆるものはやがて消滅し、すべてはとどまることなく変移し続ける。永遠の安定とか、依って頼るべき不変不滅のものなどどこにもない。これは仏教から来ている世界観ですが、この「無常」という考え方は、宗教とは少し違った脈絡で、日本人の精神性に強く焼き付けられ、民族的メンタリティーとして、古代からほとんど変わることなく引き継がれてきました。
 「すべてはただ過ぎ去っていく」という視点は、いわばあきらめの世界観です。人が自然の流れに逆らっても所詮は無駄だ、という考え方です。しかし日本人はそのようなあきらめの中に、むしろ積極的に美のあり方を見出してきました。
 自然についていえば、我々は春になれば桜を、夏には蛍を、秋になれば紅葉を愛でます。それも集団的に、習慣的に、そうするのがほとんど自明のことであるかのように、熱心にそれらを観賞します。桜の名所、蛍の名所、紅葉の名所は、その季節になれば混み合い、ホテルの予約をとることもむずかしくなります。
 どうしてか?
 桜も蛍も紅葉も、ほんの僅かな時間のうちにその美しさを失ってしまうからです。我々はそのいっときの栄光を目撃するために、遠くまで足を運びます。そしてそれらがただ美しいばかりでなく、目の前で儚く散り、小さな灯りを失い、鮮やかな色を奪われていくことを確認し、むしろほっとするのです。美しさの盛りが通り過ぎ、消え失せていくことに、かえって安心を見出すのです。
 そのような精神性に、果たして自然災害が影響を及ぼしているかどうか、僕にはわかりません。しかし我々が次々に押し寄せる自然災害を乗り越え、ある意味では「仕方ないもの」として受け入れ、被害を集団的に克服するかたちで生き続けてきたのは確かなところです。あるいはその体験は、我々の美意識にも影響を及ぼしたかもしれません。
 今回の大地震で、ほぼすべての日本人は激しいショックを受けましたし、普段から地震に馴れている我々でさえ、その被害の規模の大きさに、今なおたじろいでいます。無力感を抱き、国家の将来に不安さえ感じています。
 でも結局のところ、我々は精神を再編成し、復興に向けて立ち上がっていくでしょう。それについて、僕はあまり心配してはいません。我々はそうやって長い歴史を生き抜いてきた民族なのです。いつまでもショックにへたりこんでいるわけにはいかない。壊れた家屋は建て直せますし、崩れた道路は修復できます。
 結局のところ、我々はこの地球という惑星に勝手に間借りしているわけです。どうかここに住んで下さいと地球に頼まれたわけじゃない。少し揺れたからといって、文句を言うこともできません。ときどき揺れるということが地球の属性のひとつなのだから。好むと好まざるとにかかわらず、そのような自然と共存していくしかありません。
 ここで僕が語りたいのは、建物や道路とは違って、簡単には修復できないものごとについてです。それはたとえば倫理であり、たとえば規範です。それらはかたちを持つ物体ではありません。いったん損なわれてしまえば、簡単に元通りにはできません。機械が用意され、人手が集まり、資材さえ揃えばすぐに拵えられる、というものではないからです。
 僕が語っているのは、具体的に言えば、福島の原子力発電所のことです。
 みなさんもおそらくご存じのように、福島で地震と津波の被害にあった六基の原子炉のうち、少なくとも三基は、修復されないまま、いまだに周辺に放射能を撒き散らしています。メルトダウンがあり、まわりの土壌は汚染され、おそらくはかなりの濃度の放射能を含んだ排水が、近海に流されています。風がそれを広範囲に運びます。
 十万に及ぶ数の人々が、原子力発電所の周辺地域から立ち退きを余儀なくされました。畑や牧場や工場や商店街や港湾は、無人のまま放棄されています。そこに住んでいた人々はもう二度と、その地に戻れないかもしれません。その被害は日本ばかりではなく、まことに申し訳ないのですが、近隣諸国に及ぶことにもなりそうです。
 なぜこのような悲惨な事態がもたらされたのか、その原因はほぼ明らかです。原子力発電所を建設した人々が、これほど大きな津波の到来を想定していなかったためです。何人かの専門家は、かつて同じ規模の大津波がこの地方を襲ったことを指摘し、安全基準の見直しを求めていたのですが、電力会社はそれを真剣には取り上げなかった。なぜなら、何百年かに一度あるかないかという大津波のために、大金を投資するのは、営利企業の歓迎するところではなかったからです。
 また原子力発電所の安全対策を厳しく管理するべき政府も、原子力政策を推し進めるために、その安全基準のレベルを下げていた節が見受けられます。
 我々はそのような事情を調査し、もし過ちがあったなら、明らかにしなくてはなりません。その過ちのために、少なくとも十万を超える数の人々が、土地を捨て、生活を変えることを余儀なくされたのです。我々は腹を立てなくてはならない。当然のことです。(バルセロナ共同)

村上春樹さん:カタルーニャ国際賞スピーチ原稿全文(下)

 日本人はなぜか、もともとあまり腹を立てない民族です。我慢することには長けているけれど、感情を爆発させるのはそれほど得意ではない。そういうところはあるいは、バルセロナ市民とは少し違っているかもしれません。でも今回は、さすがの日本国民も真剣に腹を立てることでしょう。
 しかしそれと同時に我々は、そのような歪んだ構造の存在をこれまで許してきた、あるいは黙認してきた我々自身をも、糾弾しなくてはならないでしょう。今回の事態は、我々の倫理や規範に深くかかわる問題であるからです。
 ご存じのように、我々日本人は歴史上唯一、核爆弾を投下された経験を持つ国民です。1945年8月、広島と長崎という二つの都市に、米軍の爆撃機によって原子爆弾が投下され、合わせて20万を超す人命が失われました。死者のほとんどが非武装の一般市民でした。しかしここでは、その是非を問うことはしません。
 僕がここで言いたいのは、爆撃直後の20万の死者だけではなく、生き残った人の多くがその後、放射能被曝の症状に苦しみながら、時間をかけて亡くなっていったということです。核爆弾がどれほど破壊的なものであり、放射能がこの世界に、人間の身に、どれほど深い傷跡を残すものかを、我々はそれらの人々の犠牲の上に学んだのです。
 戦後の日本の歩みには二つの大きな根幹がありました。ひとつは経済の復興であり、もうひとつは戦争行為の放棄です。どのようなことがあっても二度と武力を行使することはしない、経済的に豊かになること、そして平和を希求すること、その二つが日本という国家の新しい指針となりました。
 広島にある原爆死没者慰霊碑にはこのような言葉が刻まれています。
 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」
 素晴らしい言葉です。我々は被害者であると同時に、加害者でもある。そこにはそういう意味がこめられています。核という圧倒的な力の前では、我々は誰しも被害者であり、また加害者でもあるのです。その力の脅威にさらされているという点においては、我々はすべて被害者でありますし、その力を引き出したという点においては、またその力の行使を防げなかったという点においては、我々はすべて加害者でもあります。
 そして原爆投下から66年が経過した今、福島第一発電所は、三カ月にわたって放射能をまき散らし、周辺の土壌や海や空気を汚染し続けています。それをいつどのようにして止められるのか、まだ誰にもわかっていません。これは我々日本人が歴史上体験する、二度目の大きな核の被害ですが、今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。我々日本人自身がそのお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、我々自身の国土を損ない、我々自身の生活を破壊しているのです。
 何故そんなことになったのか?戦後長いあいだ我々が抱き続けてきた核に対する拒否感は、いったいどこに消えてしまったのでしょう?我々が一貫して求めていた平和で豊かな社会は、何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう?
 理由は簡単です。「効率」です。
 原子炉は効率が良い発電システムであると、電力会社は主張します。つまり利益が上がるシステムであるわけです。また日本政府は、とくにオイルショック以降、原油供給の安定性に疑問を持ち、原子力発電を国策として推し進めるようになりました。電力会社は膨大な金を宣伝費としてばらまき、メディアを買収し、原子力発電はどこまでも安全だという幻想を国民に植え付けてきました。
 そして気がついたときには、日本の発電量の約30パーセントが原子力発電によってまかなわれるようになっていました。国民がよく知らないうちに、地震の多い狭い島国の日本が、世界で三番目に原発の多い国になっていたのです。
 そうなるともうあと戻りはできません。既成事実がつくられてしまったわけです。原子力発電に危惧を抱く人々に対しては「じゃああなたは電気が足りなくてもいいんですね」という脅しのような質問が向けられます。国民の間にも「原発に頼るのも、まあ仕方ないか」という気分が広がります。高温多湿の日本で、夏場にエアコンが使えなくなるのは、ほとんど拷問に等しいからです。原発に疑問を呈する人々には、「非現実的な夢想家」というレッテルが貼られていきます。
 そのようにして我々はここにいます。効率的であったはずの原子炉は、今や地獄の蓋を開けてしまったかのような、無惨な状態に陥っています。それが現実です。
 原子力発電を推進する人々の主張した「現実を見なさい」という現実とは、実は現実でもなんでもなく、ただの表面的な「便宜」に過ぎなかった。それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。
 それは日本が長年にわたって誇ってきた「技術力」神話の崩壊であると同時に、そのような「すり替え」を許してきた、我々日本人の倫理と規範の敗北でもありました。我々は電力会社を非難し、政府を非難します。それは当然のことであり、必要なことです。しかし同時に、我々は自らをも告発しなくてはなりません。我々は被害者であると同時に、加害者でもあるのです。そのことを厳しく見つめなおさなくてはなりません。そうしないことには、またどこかで同じ失敗が繰り返されるでしょう。
 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」
 我々はもう一度その言葉を心に刻まなくてはなりません。
 ロバート・オッペンハイマー博士は第二次世界大戦中、原爆開発の中心になった人ですが、彼は原子爆弾が広島と長崎に与えた惨状を知り、大きなショックを受けました。そしてトルーマン大統領に向かってこう言ったそうです。
 「大統領、私の両手は血にまみれています」
 トルーマン大統領はきれいに折り畳まれた白いハンカチをポケットから取り出し、言いました。「これで拭きたまえ」
 しかし言うまでもなく、それだけの血をぬぐえる清潔なハンカチなど、この世界のどこを探してもありません。
 我々日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。それが僕の意見です。
 我々は技術力を結集し、持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求すべきだったのです。たとえ世界中が「原子力ほど効率の良いエネルギーはない。それを使わない日本人は馬鹿だ」とあざ笑ったとしても、我々は原爆体験によって植え付けられた、核に対するアレルギーを、妥協することなく持ち続けるべきだった。核を使わないエネルギーの開発を、日本の戦後の歩みの、中心命題に据えるべきだったのです。
 それは広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する、我々の集合的責任の取り方となったはずです。日本にはそのような骨太の倫理と規範が、そして社会的メッセージが必要だった。それは我々日本人が世界に真に貢献できる、大きな機会となったはずです。しかし急速な経済発展の途上で、「効率」という安易な基準に流され、その大事な道筋を我々は見失ってしまったのです。
 前にも述べましたように、いかに悲惨で深刻なものであれ、我々は自然災害の被害を乗り越えていくことができます。またそれを克服することによって、人の精神がより強く、深いものになる場合もあります。我々はなんとかそれをなし遂げるでしょう。
 壊れた道路や建物を再建するのは、それを専門とする人々の仕事になります。しかし損なわれた倫理や規範の再生を試みるとき、それは我々全員の仕事になります。我々は死者を悼み、災害に苦しむ人々を思いやり、彼らが受けた痛みや、負った傷を無駄にするまいという自然な気持ちから、その作業に取りかかります。それは素朴で黙々とした、忍耐を必要とする手仕事になるはずです。晴れた春の朝、ひとつの村の人々が揃って畑に出て、土地を耕し、種を蒔くように、みんなで力を合わせてその作業を進めなくてはなりません。一人ひとりがそれぞれにできるかたちで、しかし心をひとつにして。
 その大がかりな集合作業には、言葉を専門とする我々=職業的作家たちが進んで関われる部分があるはずです。我々は新しい倫理や規範と、新しい言葉とを連結させなくてはなりません。そして生き生きとした新しい物語を、そこに芽生えさせ、立ち上げてなくてはなりません。それは我々が共有できる物語であるはずです。それは畑の種蒔き歌のように、人々を励ます律動を持つ物語であるはずです。我々はかつて、まさにそのようにして、戦争によって焦土と化した日本を再建してきました。その原点に、我々は再び立ち戻らなくてはならないでしょう。
 最初にも述べましたように、我々は「無常(mujo)」という移ろいゆく儚い世界に生きています。生まれた生命はただ移ろい、やがて例外なく滅びていきます。大きな自然の力の前では、人は無力です。そのような儚さの認識は、日本文化の基本的イデアのひとつになっています。しかしそれと同時に、滅びたものに対する敬意と、そのような危機に満ちた脆い世界にありながら、それでもなお生き生きと生き続けることへの静かな決意、そういった前向きの精神性も我々には具わっているはずです。
 僕の作品がカタルーニャの人々に評価され、このような立派な賞をいただけたことを、誇りに思います。我々は住んでいる場所も遠く離れていますし、話す言葉も違います。依って立つ文化も異なっています。しかしなおかつそれと同時に、我々は同じような問題を背負い、同じような悲しみと喜びを抱えた、世界市民同士でもあります。だからこそ、日本人の作家が書いた物語が何冊もカタルーニャ語に翻訳され、人々の手に取られることにもなるのです。僕はそのように、同じひとつの物語を皆さんと分かち合えることを嬉しく思います。夢を見ることは小説家の仕事です。しかし我々にとってより大事な仕事は、人々とその夢を分かち合うことです。その分かち合いの感覚なしに、小説家であることはできません。
 カタルーニャの人々がこれまでの歴史の中で、多くの苦難を乗り越え、ある時期には苛酷な目に遭いながらも、力強く生き続け、豊かな文化を護ってきたことを僕は知っています。我々のあいだには、分かち合えることがきっと数多くあるはずです。
 日本で、このカタルーニャで、あなた方や私たちが等しく「非現実的な夢想家」になることができたら、そのような国境や文化を超えて開かれた「精神のコミュニティー」を形作ることができたら、どんなに素敵だろうと思います。それこそがこの近年、様々な深刻な災害や、悲惨きわまりないテロルを通過してきた我々の、再生への出発点になるのではないかと、僕は考えます。我々は夢を見ることを恐れてはなりません。そして我々の足取りを、「効率」や「便宜」という名前を持つ災厄の犬たちに追いつかせてはなりません。我々は力強い足取りで前に進んでいく「非現実的な夢想家」でなくてはならないのです。人はいつか死んで、消えていきます。しかしhumanityは残ります。それはいつまでも受け継がれていくものです。我々はまず、その力を信じるものでなくてはなりません。
 最後になりますが、今回の賞金は、地震の被害と、原子力発電所事故の被害にあった人々に、義援金として寄付させていただきたいと思います。そのような機会を与えてくださったカタルーニャの人々と、ジャナラリター・デ・カタルーニャのみなさんに深く感謝します。そして先日のロルカの地震の犠牲になられたみなさんにも、深い哀悼の意を表したいと思います。(バルセロナ共同)

2010年5月4日 星期二

報告總統 我可以有兩片肺葉嗎?

報告總統 我可以有兩片肺葉嗎?(上)

202兵工廠雨後即景。
本報資料照片/記者徐兆玄攝影
1 聽說,只有一片肺葉也能活
報告總統,我有兩片肺葉,最近有人想拿走一片,聽說人只剩一片肺也是可以活的。不過,我還是相信人有兩片肺葉會活得比較好啦──這樣說,你同意嗎?
2 空氣權,才是最基本的人權

國防部軍備局202兵工廠留下的沼澤綠地,目前的「居民」很單純。
本報資料照片/記者徐兆玄攝影
第一片肺,是七號公園,當年有人要拿它蓋體育場,我吵了(感謝《中時》給我篇幅可吵),算是救了下來。
我說的第二片肺葉是「202兵工廠」留下的沼澤綠地,位在捷運昆陽站至中研院附近,目前的居民很單純,分別是土地公、松鼠、白鷺鷥、台灣藍鵲、老鷹……這些原住民都不知道他們的家園要碰到滅域之災了。聽說,到時候撒土一填,這最後的濕地便成了水泥堡。
從前,要台灣割地的人是「日本倭寇」,如今要割裂國土的人卻是大有勢力的研究團體、一心想跟進的企業團體和非常有錢的建商,這件事如果一路通行無礙,則我們「大有為」的政府看來可以大賺一筆橫財了!不過,也不要高興太早,這筆錢也會漏掉的。因為少了一片肺葉,台北市民健康遲早出問題,這筆錢剛好可以做市民醫療補助費。
以上所說,在南港中研院(目前取得部分地權的受惠者)聽來,大概以為是「環保人士神經質的囈語」,就他們後來在4月13日《聯合報》民意論壇上提出的聲明,他們自認「只」取得25.31公頃多的土地,而且他們自認為一旦動土,也不會破壞周邊環境。
所有去使用土地的團體,哪個不自認為十分環保?像台電公司,一面蓋些核能發電廠,一面發行一本叫《源》的雜誌,印得漂漂亮亮,表示很愛護台灣土地。中研院「只用」25.31公頃土地,其實這片土地已是「平坦的精華區」。他們又自認不會去填土,不會去破壞,哎,當年王永慶的企業不也是如此保證的嗎?誰喜歡「立志破壞」?但破壞卻造成了。
當然,中研院尚未動工,我們就不信任他們,就強烈疑懼,不會太過分嗎?但因為「生技園區」憑常識就知道,和「生態園區」是「犯沖」的。實驗室放在「生態區」裡,無論如何都是令人恐怖的。

維持沼澤地的生態,重點只在維持地球「該有的面目」。
本報資料照片/記者徐兆玄攝影
中研院方面又以另一個理由來「誘惑」民眾,他們說以前軍方管理,門禁森嚴,現在「換我來使用」,可以大開方便之門,歡迎大家來玩。殊不知維持沼澤地的生態,重點只在維持地球「該有的面目」,至於「人類」「能不能來玩」,全然不是問題,問題是環境變優良了,人類自自然然可受惠,「壅塞」不是造物的「原則」,留一些餘裕給子孫才是真的功德。中研院對這片土地能做的最好的事就是退出,保留它是空地。
所以,親愛的喜歡跑步的馬先生啊,跑步雖是好事,好空氣才更重要啊!否則跑得氣喘吁吁,吸進一堆汙濁之氣,那又於你何益!唉,空氣權才是最基本的人權,做總統的要知道這一點哦!

3 拚經濟,拚到切肺葉?
台灣近二十年來,總統一職竟跟強盜成了同行,所以,什麼傷天害理的事都敢做。老李當年,看著河道彎彎曲曲不順眼,便著人把一條河「截彎取直」改成直挺挺的,他居然說河改直了,多出來的空地可以做高爾夫球場來打小白球呢!
唉,作為一條河,生在老李年代,也真是命苦啊!當然陪著命苦的是台北市民。
接著上台的「阿珍的老公」陳代總統(說他是代總統,因為照他說,他行事為人都秉承珍氏夫人之聖旨。),就更變本加厲了。在某次和李遠哲的談話中,他就把這個台北之肺切了一大塊給了他的「廣告代言人」李氏。
唉,一個完整的蛋糕如果切了一塊就麻煩了,因為自然有人來要第二塊,反正,最好的最平坦的那塊已經有人拿去了嘛!
在台灣,「有本領搶地」的人不多,「有本領給地」的人也不多,當然啦,台灣的空地本來就不多。唉!事實上台灣全部土地也沒多大。(環島一周不到一千公里,如果路好車好,八小時也就跑完了。)可是就有人一言九鼎,把這塊土地的精華部分給了李遠哲。
任何聰明的餐廳老闆都不會因為李遠哲得過諾貝爾獎(你要叫它「軍火商炸藥獎」也可以啦!),就敢教他去炸雞捲或煮蚵仔麵線,更別說教他去做滿漢全席了!可是就有那麼豬頭的阿輝教他回來做教育改革。這一切真是鬧劇加悲劇。教改之可怕有如女人整型,整壞了,就連一張本來勉強可看的臉也沒了。但李遠哲並不道歉,他對目前這張醜臉要說的話竟然是「罪不在我」!
這件事情源於有個不適任的老李,找了不適任的小李,中間冒出老陳來拍胸脯送地,接著他就交辦給邱義仁,此事居然也就定案了。可憐那塊土地何辜,那清清的流水何辜,水畔的白鷺鷥何辜!
我本來以為邱義仁只擅長於「神祕的微笑」,唉,連主子、副主子都差點遭人槍殺了,他也能作詭異甜蜜的笑容(不知是其演技太好還是演技太壞),看來很適合做達文西的模特兒,不料他還居然身兼財神爺,可以送人好處。
當然啦,有人想,白鷺鷥又算什麼?中央研究院才是偉大的研究機構,「生技」是會拉金蛋的驢子,又強壯又多金,拚經濟才是第一啦!
拚經濟拚到切肺葉,這種蠢事台灣政客一向做來駕輕就熟。破壞環境的事我們常卯起來幹,速率之快真是天下無敵。
不是都說愛台灣嗎?我看是愛上台灣的肥美吧?是想來痛宰台灣吧?真正愛台灣能不愛這片美麗的沼澤嗎?能不努力保持一片肺葉供市民呼吸吐納嗎?
4 在台北,哪個活人不想找一片地

原國防用地,意外成為一方淨土。
本報資料照片/記者徐兆玄攝影
那麼,中研院就不重要了嗎?生技園就不重要了嗎?研究室就不重要,前衛科技就不重要了嗎?當然重要,但,想蓋房子,自己找地去吧!在台北,哪個活人不想找一片地(甚至哪個死人不想有一塊地?),但請不要打那片沼澤生態區的主意,好嗎?
其實中研院自己就有空地,中研院因為是個「老機構」了,當年在五○年代,建築物普遍長得矮,就算後來七○年代起的,也普遍不怎麼高,何不學台北市民「舊屋翻造蓋大樓」的方法就好,何苦去切202那塊都市的肺?
也有一說,認為科技研究室不宜在大樓裡,因為有失火或實驗動物遭感染等問題(但目前化學所也有八樓的高度),如果是文哲所或法律、經濟、台史、近史等所,卻不妨集中在「人社中心」,反正他們的研究都很安全,不會冒出火來。其實像其中的數學所,甚至花了許多年的力氣,把自己搬到台大去了──這倒是一個好主意,研究人員在哪裡,哪裡就是研究中心!房子硬體又算什麼?英國的弗萊明發現青黴素,不正是因為實驗室很陽春嗎?連試杯都會生霉呢!也沒妨害人家成為大科學家啊!
中研院之所以開口要這片地,當然不是因為他們沒有足夠的人才,以致不知道生態保護的重要性。事實上中研院自己內部的大院也作了幾塊保留地,雖曰怡情,不免也是示範吧?中研院懂得在自己的土地上講究生態,怎麼不替大台北的市民想想呢?
(上)

報告總統,我可以有兩片肺葉嗎?(下)
5 這些地,原始的用途是「保命」
這塊地,這塊大大空空的綠地,原來是屬於國防部的。
這樣說,其實頗有語病。因為,嚴格來說,土地從來不屬於什麼人,而人,是屬於土地的。
國防部,也許有點像醫院,是個「人類生活中不得不有的單位」,醫院負責跟病打仗,國防部負責跟敵人打仗。唉,世上如果這種單位消失了是多麼好呀!當然,那得讓這世界先變成天堂才行,「大道之行也,天下為公,疾病無有……」
台灣的國防部沒有消失,卻不斷瘦身,這件事,是軍事機密,我無法插嘴。但變瘦的國防部會不斷吐出他們的寶貝──土地──來,這些新生的老地我們要拿來做什麼呢?
我們不妨回溯一下,像202兵工廠這種單位是生產炸藥的,生產炸藥幹嘛?當然是為了自我保命,如今若是不生產炸藥了,我們人民還是要「求保一命」的。如何保?最好的方法莫如給我們綠地,綠地是不須去買機械設備的廠房,負責為我們製造優質空氣。
能保此命不被敵人的槍砲打死,很重要。能保此命不被髒空氣毒死,更重要。
6 還我河山

我於是打電話給孫震校長求證,看看這位前前前前國防部長是否真的同意把「大好河山」奉送給可憐的老百姓作休憩之用,電話裡聽到他深然我言,使我很慶幸。畢竟,那句老掉牙的口號「軍民一家」至今還是事實。軍方吃了民脂民膏,總算仍是愛民的,他們如今不再用這片土地,第一個想法是「還土於民」。
軍方如此善良,那麼政界呢?學界呢?他們吃的可也是民脂民膏呀!當然,往好處想,李遠哲會說:「我也愛民,我也愛台灣人民,我想弄生技園,也是為台灣人民著想哪!」
聽說因為南港地區科技單位紛立,中研院很想成立一個科技大超市,可以容納各路英雄豪傑共聚一碼頭。而此機構最好半官半私,另立「院外門戶」,便於自我當家,如果一直待在原地,難免要成為中研院的小媳婦,綁手綁腳。
果真如此,我倒勸中研院遠走高飛,離家百里,到竹科地區去求發展,土地取得比較沒有爭議,可以不必被環保人士指指點點,何等海闊天空。
7 「企業」的「業」相通於 「罪孽」的「孽」
從佛教用語來看,「事業」的「業」和「企業」的「業」都相通於「罪孽」的「孽」,從環保觀念來看也是如此。
在我們所知道的報導中,鴻海一度有意入駐而又在想清楚以後打了退堂鼓。啊!我真願意為此事向郭台銘先生磕三個響頭,啊!謝謝,謝謝,能放過這塊地真是功德無量啊!又傳言這地貴到近兆,似乎只有大陸財團才有一口氣全買下的手筆。天哪!果有此劫,那真是「國也破了」「山河也不在了」。一向只有「不肖子孫」才會傳出賣祖產的事,陳水扁曾經樂此不疲,問題是,馬總統啊,你也要「扁規九隨」嗎?
陳代總統在總統職位上雖只是個代理人,但在貪腐大業上卻一向縱橫五洲,所向披靡。而他在2000年四月跟李遠哲兩人指腹為婚要送掉25公頃土地的這樁事情,看來是廣告代言人得到的對價好處,但那畢竟是二十世紀最後一年的惡業。而現在是二十一世紀了,拜託馬總統行行好,為政治生命已入土的阿扁買一張身後的贖罪券為他消業(孽)吧!吳敦義如果能幫忙讓這件被邱義仁促成的「賣國(土)案」(哦,不是,是「送國案」)翻案,真是幫陳水扁積了德了。目前,這該是阿扁最需要的恩惠了。(倒不是送什麼台南肉粽去看守所。)
8 「我們到『肺葉公園』 去散步!」
所以,總歸一句話,馬總統啊,前朝做錯的,趕快趕快改回來吧!以後的,就此停住,不要再打主意賣祖產了。希望不久以後,市民走出捷運昆陽站轉個彎,就能高高興興到「肺葉公園」去散步,拜託你了!
9 雲枯夢竭

下面,且容我說說我自己對沼澤和綠野的感情:
從印度系統的思想來說,地球上有四大現象,那就是地、水、風、火。而我們的文化卻不同,我們有八卦。八個卦象分別可以落實為天、地、雷、風、水、火、山、澤,其中「山」和「大地」其實是有些交集的,而「水」和「澤」也彷彿有些差不多似的。想來先聖是因為特別敬重地球上的這些重要物象的特質,所以才會給它們各自另立一個番號。山和大地被認定是不盡然相同的,大地柔和豐厚,如母親的胸懷。而山卻嵯峨高舉,拿雲親日,是仙人的故鄉。水是沛然莫之能禦的至柔又至剛的能量,澤卻是鳶飛魚躍擎花貯月的心靈依歸。
所以,有山有澤的地方是受祝福的特區,是正常人類渴望親炙的大自然的慈顏。
但山和澤卻又是極端脆弱的,山有可能遭人鑿了山石,有可能被人砍了神木,有可能有人去種高冷蔬菜,有可能僅僅被雨水沖刷而蝕了土表,倒是古人去釣個魚、挖個竹筍或撿些枯柴、摘些野蕨,並無大礙。
至於沼澤則更糟,一場暴雨就可以增加它的淤泥,特別是,如果周邊的山上缺乏護山的草木,沼澤很快就從濁泥潭變成乾地。至於碰到像毛澤東那種愚妄的人,硬要發動民力早晚擔土去填洞庭湖或填滇池,真是瘋狂加邪惡,令人氣結。他自以為多了耕種稻作的面積,但失去的漁獲量又該怎麼說呢?更何況湖泊一向都是調節江水的府庫,是上天極大的恩澤!毛澤東就算得了失心瘋,也該看在自己名字裡面有個澤字而尊重一下沼澤吧!把沼澤用乾土封死窒死,真是獲罪於天啊!
而在台灣,情況也好不到哪裡去,所有湖泊河川少有不被工廠汙染的,一個山不山水不水的地方,只能說是一塊傷心地吧!
即便如此,我們還是得愛這塊后土,因為這是我們清清楚楚的戶籍所在地,我們的魂魄除此之外別無可去之處。
曾經,歷史上有所謂的雲夢大澤,這沼澤位在楚界,楚指的是中原文化邊陲處的極浪漫極華美極神祕的領域。在那裡,岸芷蘭汀,一逕香入天涯,在那裡,楚山楚水青碧透明如琉璃,在那裡,有一雙沼澤,一個名叫雲一個名叫夢,雲夢大澤豐饒且美麗,是浩浩渺渺說不盡的玄祕幽境。
另有一說是:雲在江北,夢在江南。傳說之所以紛紜,其實都因為後來我們根本找不到雲夢大澤了。我們早已不能指認它確切的位置,換句話說,雲夢乾了,乾成平凡的旱地。那曾經存在的幻境,我只有在司馬相如的〈子虛賦〉裡去揣摩臆想,去低迴浩嘆。
既使那麼大那麼深的千里煙波,有朝一日也會耗竭枯乾。那麼,如果眼前有個小水窪,自當珍惜。珍惜什麼?珍惜其間一莖草,一尾魚,珍惜鳥之一鳴,花之一展,珍惜羽翅之鷹揚,垂柳之低拂。
世上一切美物,美到極致,如202廠地,本當祭天,但天並不需要草坪供祂散步或樹叢供祂吸納,天意會讓土地留為生民所用。
所以,讓這塊台北最後的綠野成為我們的第二片肺葉吧!「無用之用」才是大用。有錢,就種些芳芳香香的樟樹人造林,沒錢,就讓草木雜生,也會自成佳趣,讓住不起「豪宅」的小市民也有個「豪園」可以徜徉其間吧!我們需要的東西是多麼少啊,只不過是一口好空氣!
(下)